もっと身近に災害医療
■ コラム・2番手で良いのか
“2位ではどうか”と言った国会議員がいる。国家行政の無駄を廃するための仕分け作業でのことだ。記憶に残るひとことだった。
ノーベル化学賞に今年も日本人科学者が選ばれた。二人の受賞者の業績と受賞理由を解説する多くの報道の中に、ひときわ気の利いたピリッとした記事があった。産経新聞が10月9日に報じている。
北海道大学の鈴木章名誉教授への関連インタビューがそれで、氏は2番手がなぜいけないのかその理由をこう語っている。 「『研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ』。さらに、『科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい』」『科学や技術を全く知らない人の言葉だ』とも指摘している。
今回受賞した科学技術は日本の化学工業を発展させたばかりでなく、製薬や化学工業で世界の企業がその恩恵に浴している現代の基幹技術だ。ヨーロッパの製薬大手はそれで大儲けをし、特許が制約されなかった分、企業活動を阻害しなかったことも際立つ特徴になっている。企業にとってはいつかは儲けた分のお礼をしておかないと寝覚めが悪いに違いない。
ノーベルがこの制度を発案した背景の中には、儲けるだけの営利活動や、発明品の効果が破壊的であるために支持された皮肉を、自らが受けとめ、その証に「人類への貢献」を評価する機会を設けようとしたことがある。
だからノーベル賞は人類の英知の結晶であることはもちろんのこと、それが社会的に十分貢献したことを証明できるまで顕彰は行わないとしている。
一番役に立つ技術だから受賞したのである。
有機合成のジャンルでは、様々な手法で独創性と汎用性が競われてきた。製造業の前提である効率やコスト、扱いやすさや大規模化などが検証されて、生き残る技術は限定されていく。他を圧倒するものだけが残るのは当然なのである。薬の製造は飛躍的に多様性を増し、難病と言われた疾病も製薬の可能性が見いだされ、「克服可能な病気」が増えてきたのである。これが、貢献の中身だ。
有機合成技術は自然界に存在しない化学物質を作り出すことでもある。それは、人類の探求心と有用性が善であることを前提とした科学の精神が可能にする。たとえ、人類が作り得た超小型の太陽が圧倒的な破壊力を示しても、それが人類に死をもたらすのでは「善」とはならず、歴史はその審判をくだしてもいる。
誰も見たことのないものを作り出す技術がすごいのではない。突破できない壁を越え、多くの技術者が扱えるレベルに実用化していく技術がすごいのである。誰も出来ないレベル。それは「一番であるもの」のみが到達を許されることなのである。2番手は壁に跳ね返されたものをいう。
“2位ではどうか”。地震災害対策にそれを引き当てると、どうなるのだろうか。一位の対応策すら見つかっていないのに、2位とは ... 。
記事の中で鈴木章北海道大学名誉教授が語る「『科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい』」という指摘は重い。
翻って考えてみて「科学や技術」という部分を「災害対策、災害医療」に置き換えてみよう。命が一番である以上、ここにも二番はないことは容易に想像がつく。利便性の追求と無駄の排除が安全への希求を軽んず風潮を良しとしているとしたら、この国には「一番手の自負と責任」は育たないことになる。
ことによるとアルフレッド・ノーベルは、時代と地域を越えて、自国の未来にも真摯に思いを寄せよとこの賞を制定したのかも知れない。受賞の喜びと同等のもう一つの重みに気づくために。
記:小林一郎 2010.12.4
ノーベル化学賞に今年も日本人科学者が選ばれた。二人の受賞者の業績と受賞理由を解説する多くの報道の中に、ひときわ気の利いたピリッとした記事があった。産経新聞が10月9日に報じている。
北海道大学の鈴木章名誉教授への関連インタビューがそれで、氏は2番手がなぜいけないのかその理由をこう語っている。 「『研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ』。さらに、『科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい』」『科学や技術を全く知らない人の言葉だ』とも指摘している。
今回受賞した科学技術は日本の化学工業を発展させたばかりでなく、製薬や化学工業で世界の企業がその恩恵に浴している現代の基幹技術だ。ヨーロッパの製薬大手はそれで大儲けをし、特許が制約されなかった分、企業活動を阻害しなかったことも際立つ特徴になっている。企業にとってはいつかは儲けた分のお礼をしておかないと寝覚めが悪いに違いない。
ノーベルがこの制度を発案した背景の中には、儲けるだけの営利活動や、発明品の効果が破壊的であるために支持された皮肉を、自らが受けとめ、その証に「人類への貢献」を評価する機会を設けようとしたことがある。
だからノーベル賞は人類の英知の結晶であることはもちろんのこと、それが社会的に十分貢献したことを証明できるまで顕彰は行わないとしている。
一番役に立つ技術だから受賞したのである。
有機合成のジャンルでは、様々な手法で独創性と汎用性が競われてきた。製造業の前提である効率やコスト、扱いやすさや大規模化などが検証されて、生き残る技術は限定されていく。他を圧倒するものだけが残るのは当然なのである。薬の製造は飛躍的に多様性を増し、難病と言われた疾病も製薬の可能性が見いだされ、「克服可能な病気」が増えてきたのである。これが、貢献の中身だ。
有機合成技術は自然界に存在しない化学物質を作り出すことでもある。それは、人類の探求心と有用性が善であることを前提とした科学の精神が可能にする。たとえ、人類が作り得た超小型の太陽が圧倒的な破壊力を示しても、それが人類に死をもたらすのでは「善」とはならず、歴史はその審判をくだしてもいる。
誰も見たことのないものを作り出す技術がすごいのではない。突破できない壁を越え、多くの技術者が扱えるレベルに実用化していく技術がすごいのである。誰も出来ないレベル。それは「一番であるもの」のみが到達を許されることなのである。2番手は壁に跳ね返されたものをいう。
“2位ではどうか”。地震災害対策にそれを引き当てると、どうなるのだろうか。一位の対応策すら見つかっていないのに、2位とは ... 。
記事の中で鈴木章北海道大学名誉教授が語る「『科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい』」という指摘は重い。
翻って考えてみて「科学や技術」という部分を「災害対策、災害医療」に置き換えてみよう。命が一番である以上、ここにも二番はないことは容易に想像がつく。利便性の追求と無駄の排除が安全への希求を軽んず風潮を良しとしているとしたら、この国には「一番手の自負と責任」は育たないことになる。
ことによるとアルフレッド・ノーベルは、時代と地域を越えて、自国の未来にも真摯に思いを寄せよとこの賞を制定したのかも知れない。受賞の喜びと同等のもう一つの重みに気づくために。
記:小林一郎 2010.12.4
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